140 年以上、5 代にわたる家族経営をつづけてきた
Uyeda Jeweller の物語。
全 14 回の連載でご紹介させていただきます。
第 1 回は こちら から。
日本最古の宝飾店をつくったのが初代・吉五郎とはな、土台を固めたのが二代目・富士朗と義己ならば、現在のウエダジュエラーの姿に成長させたのは三代目の新太郎です。
新太郎は 1961 年(昭和 36 年)、大学卒業と同時に入社し、間もなく父・富士朗が 62 歳で他界したことによって、26 歳の若さでウエダの社長に就任することになりました。
富士朗は死去の直前に、新太郎に言葉を残していました。
「お前には私が持っていない長所がある。それは人の意見に素直に耳を傾ける点だ。私を真似るな。お前はお前の長所を伸ばしていけばいい」
この言葉は、新太郎のその後の人生を支える言葉になりました。
新太郎は先代からはじまった真珠から貴石へのシフトを堅実に進めつつ、1970 年代に入ると当時は宝飾店でもまだほとんど取り入れられていなかった「ジュエリーデザイナー育成」をスタートしました。オリジナルデザインに注力し、より「ウエダらしさ」を追求するためです。
「ウエダだからできること、ウエダにしかできないことを一つずつやろう」
1973 年(昭和 48 年)に為替、金が自由化されると、ここに商機を見てイタリアへ向かい、フィレンツェ、ミラノ、ヴァレンツァで本場のゴールドジュエリーを買い付けました。先代からつづいていたヨーロッパ市場との繋がりを活かした挑戦です。
その秋には、帝国ホテル孔雀南の間で、大規模なイタリア展を開催することになります。
この催しは、ウエダ史上初の本格的な催事でした。
それと同時に、海外からの商品直接調達の道を開き、今後発展が見込まれる国内市場をにらんで、真珠だけに片寄らない品揃えを拡大していくことになります。
この時期から店名は明治時代からの「 K.UYEDA 」から、現在の「 Uyeda Jeweller 」にあらためられ、海外のお客様だけでなく日本のお客様にも認知をいただけるようになりました。
そして、1984 年に晴れて創業 100 周年を迎えることができました。
「祖父、父から受け継いだ会社を、100 年つづいた会社にできた」
日本に不況の足音が聞こえはじめる前の年のことでした。