140 年以上、5 代にわたる家族経営をつづけてきた
Uyeda Jeweller の物語。
全 14 回の連載でご紹介させていただきます。
「このブローチ、もともとは母が若いときにこちらで購入したのですが、まだお手入れしていただくことはできますか?」
「もちろんです。長くご愛用いただき有難うございます」
ウエダジュエラーにご来店されるのは、新しいジュエリーをお選びになるお客様だけではありません。
長く愛されてきたジュエリーを、次の世代にふさわしい姿へ整えたい。
そのようなご相談をいただくことも、私たちにとって大切な仕事のひとつです。
「なにかイメージや、ご希望はございますか?」
「母からもらったままの状態で使っていたのですけれど、こんど娘が成人するので彼女にプレゼントしたくて。でも流行も変わっているし、彼女の年代でも身につけやすいものがいいなと思って……」
「それでしたら、もしかするとブローチだけでなく、石を活かしてペンダントにしても素敵だと思います。お品ものを拝見させて頂いてもよろしいでしょうか……」
ウエダジュエラーで扱っているのは、ジュエリーだけでなく、お客様の想いや、体験、そして人生までも大切に扱わせて頂いております。
お客様が購入されたジュエリーは、
その想いとともに、
年月を越えて輝き続ける。
これは 140 年以上、5 代にわたる家族経営のなかで守られてきた精神でもあります。
その始まりは、明治時代にまで遡ります。
ウエダジュエラーは 1884 年に創業者の植田吉五郎(うえだ・きちごろう)によって、東京の京橋(現在の銀座電通通り)で開業しました。
日本が鎖国を解き、明治維新が興ってから 17 年。
当時は江戸時代が遠ざかり、文明開化の華やかな熱が残っていた時代でした。
開業の前年には、日比谷に海外からの賓客をもてなす施設「鹿鳴館(ろくめいかん)」が建設され、夜ごとに舞踏会が催されるようになっていました。西洋諸国に対して、日本がすでに「文明国」であることを証明するためにつくられた大がかりな舞台です。
この鹿鳴館に、上流婦人たちは流行していた洋装で現れました。
バッスル・ドレスに、夜会巻き。
真珠やダイヤモンドをあしらった髪飾りが燭台の灯りにきらめく光は、それまでの日本社会ではほとんど見ることのできない、新しい時代の輝きでした。
日本に「ジュエリーを身につける」という文化が芽生えた、まさにその時代のことでした。