Uyeda Jeweller
Column
和洋ジュエリー手帖
vol.18

ウエダのデザインの伝統

 

植田 嘉恵 / Yoshie Uyeda

風にそよいでたなびくリボン、きらきらと水面に反射する光の粒子、荘厳な空気の中佇む濃緑の樹木、空間が心地よい歴史ある建築物や美しいピアノの調べに心動かされて見える景色…
日本の四季折々の自然や日本古来の文様、日常のふとした風景や心の琴線に触れる様々な情景からイメージを膨らませて…

photo by Sayaka Unno

ウエダジュエラーはおかげさまで今年創業 137 周年を迎えました。
その 137 年の歴史の中でオリジナルデザインに重きを置くようになったのは 1970 年代頃からで、それは父である三代目・植田新太郎の意向でした。
それ以降多くのデザイナーがウエダのデザインの礎・歴史をつくってきました。
貯蔵するデザイン画は 40,000 点以上にも及ぶほどです。今日はそんな先代のデザイナーの方々から受け継いできた、ウエダのデザインについて少しお話をいたします。

オリジナルデザインに重きを置き始めたばかりの過去のデザイン帳から。
日本にジュエリーが根付いていない時代、オリジナリティーを出そうという意気込み、
開拓の精神が感じられるデザインの数々。

美しいジュエリーで人をしあわせにしたい

よくジュエリーデザインを生業にしているということで「綺麗なお仕事でよいですね」と仰っていただくことがあります。それは事実ではありますが、同時に「デザイナーを志す人達に必ず伝えるのは、一見華やかそうに見える仕事ですが、華やかな商品を作りあげる裏方としての地味な仕事だと言うことです。それには宝石に対する気配りや、お客様に対する気配りなど細かい心配りが必要です。」と、最初に師事したデザイナーが 110 周年記念誌で語っていたとおりの仕事です。実際に仕事を始めてこの言葉を身に染みて実感し、その思いはこの仕事に携わってきた 27 年間変わっていません。そしてもうひとつ一貫して変わっていないことはジュエリーデザイナーを志した際の「美しいジュエリーで人をしあわせにしたい」という想いです。

小学生だった頃、店を訪れた際に当時のチーフデザイナーから頂戴したデザイン画。
そのあまりの可愛さに感激し、「デザイナーになりたい」という想いが芽生えたきっかけの一枚。

ウエダの個性を肌で感じる

ウエダジュエラーのデザイナーを志した約 27 年前、私は美術の教育を受けたこともデザインの素養もありませんでした。そこで、専門学校などで学んだ方がよいか父に相談したところ、ウエダの個性を肌で感じながら、社内デザイナーから直接ウエダのデザインを学んだ方がよいというアドバイスで、入社後、一から育てていただきました。それ以来試行錯誤を重ねながら、オリジナル商品はもちろん yoshie uyeda ライン、オーダージュエリーやリモデルなど…
数えきれないぐらい多くのデザインに携わらせていただいております。

はつらつとした動きが印象的なアシンメトリーなリボン。
着ける向きによって雰囲気も変わり、しあわせなご縁を結びます。
ある宮様にご婚約会見の際お着けいただきました。
デザイナーとしてはじめの一歩を踏み出した、思い出深いブローチです。

「考えに考え抜く」

ジュエリーをデザインするということは職人的なデザイン画を精密に描くことではなく、アイディアを発想し、その構造を考えに考え抜いて一番美しく、使い勝手がよく、強度的にも問題ない立体に具現化する道筋をつくることです。皆さまが目にされるデザイン画はこの長いプロセスを経た最終結果で、重要なことはまずよいアイディアを発想できること、そして同じ位重要なことは構造を考え抜くことだと思っています。この、考えに考え抜く姿勢は二番目に師事したデザイナーに教えられました。

アクセサリーも含めると市場にありとあらゆる種類のデザインが溢れている現在では、アイディア自体を出すことにも困難を極めます。そして、どんなによいアイディアを考えついたとしても具現化できなくては机上の空論に終わってしまいますし、実現できたとしても立体として美しくない、着け心地が悪い、使用に耐えられる強度がない、ということであれば、それは「デザイン」ではなく「実用のないアート」になってしまいます。

「線の先の先まで描く気持ちで」

今までになかった新しいアイディアを考え出して、それを具現化するための構造を考えることは本当に大変な作業です。どうしたら紙に描いたアイディアを具現化できるか、頭の中で立体として組み立て、金属の厚みや微妙な曲線を mm 以下の単位で検討し、構築していくのです。紙に描く段階でも美しい線を描くことに注力します。その際、先代のデザイナーに教えられた「髪の毛一本分の線」の違いにまで拘りぬき、紙に描いた「線の先の先まで描く気持ちで」美しいカタチを追求します。その後の段階では想像力を駆使し美しい立体にできる方法を考えに考え抜き、ときに夜中に「こうすればうまくいくかも、こうしたらどうだろう…」と思いついて目を覚ましたり、「本当にこれでよいのだろうか」と自問自答することもしばしばです。ここで自分のビジョン・意思がはっきりしていることが大切で、そうでなければ製作の段階で製作者から「ここはどうなっていますか、どうしましょうか?」等の問い合わせがあった際に対応ができません。

このようなプロセスを経て道筋を切り開き、デザイン画を描いて製作者にデザイン意図を説明し、途中何度かの確認を繰り返してジュエリーとしてできあがってきたときのうれしさはひとしおです。そしてそれ以上にうれしいことは、デザインしたジュエリーをお客様にお気に召していただき、お求めいただいてご愛用いただくこと、またさらには代々受け継いでしあわせな思い出を重ねていっていただくことです。この仕事をしていてこれ以上の喜びはありません。むしろ、この喜びがあるからこそこの仕事を続けてくることができたのだと感謝しております。

オータムコレクション新作のデザイン画の中から。
身に着けて、前向きなお気持ちになっていただけるよう
願いを込めてデザインいたしました。

ウエダのデザインの伝統

その昔海外ブランドがまだ日本に入っていない時代、日本で最古のジュエラーであったウエダジュエラーのデザインはヨーロッパのジュエリーの模倣から始まり、時代の移り変わりと共にヨーロピアンテイストと日本の繊細なセンス・伝統を融合したデザインへと変貌を遂げてまいりました。
よくウエダのデザインは「流れるような優美なラインと立体的な構造」が特徴的と評していただくことがございます。加えてデザインする際に心掛けている、素材のよさを最大限に引き出すこと、ムダを削ぎ落して可能なかぎりシンプルにすること、髪の毛一本分のラインの違いや微妙な曲線の違いを表現するためデザイン画は手描きで描くこと…などなど、先人のデザイナーの方々から受け継いできたウエダのデザインの伝統は枚挙にいとまがないほどです。
この、先人の方々が心をこめて紡いできた伝統を大切に、時代のエッセンスも取り入れつつ、感謝の気持ちを持って、また次の世代に継承していけるよう、これからもお客様にお喜びいただけるデザインを創造していきたいと思います。

植田 嘉恵 プロフィール

Yoshie Uyeda


ウエダジュエラー三代目・植田 新太郎の長女として生まれる。
雙葉学園幼稚園~高等学校を経て白百合女子大学卒業。
米ケンタッキー州でインターンシッププログラムに参加、ケンタッキー・カーネル受章。
帰国後ウエダジュエラーに入社。現在チーフデザイナー。