Uyeda Jeweller
Column
和洋ジュエリー手帖
vol.29

Uyeda Jeweller ブランドストーリー

【第 6 回】

140 年以上、5 代にわたる家族経営をつづけてきた
Uyeda Jeweller の物語。
全 14 回の連載でご紹介させていただきます。
第 1 回は こちら から。

円高という逆境を、翼を広げるチャンスに



ダブルクリップブローチ(昭和初期)
ダブルクリップブローチ(昭和初期)
出典:ウエダジュエラーHP Archive

1985 年(昭和 60 年)9 月。
歴史的なニュースが世界の経済界を駆け巡りました。

G5(先進 5 か国)がアメリカの貿易赤字の解消を目的として、人為的なドル安・円高への誘導を決めました。ニューヨークのプラザホテルで行われたこの会議は、「プラザ合意」として衝撃的に受けとめられました。

この合意により、それまで 1 ドル= 240 円台だった円相場が、1 年後には 150 円台、2 年後には 120 円台まで急騰しました。円の価値がほぼ2倍に跳ね上がったことになります。起こることは明白です。

──日本の商品が、世界で売れなくなった。

日本では製造業を中心に大打撃を受けることになりました。円高不況は、ほとんど無重力落下のような底のない不況で「円高倒産」が相次いで発生しました。

新太郎の周囲でも倒産や廃業に追い込まれる友人たちが大勢いました。
もちろん、外国人のお客様の多いウエダジュエラーにとっても大打撃でした。

……しかし新太郎はこの大逆風の中で、あえて翼を広げる決意をします。

「海外で日本製は売れないが、海外のものはこれまでよりも仕入れやすい」

円の価値を活かして、ウエダジュエラー品質に見合う仕入を積極的に行い、日本の顧客層を広げていったのです。この時こそ「本当に質の高い宝石を、日本の顧客に広く知ってもらう最高の機会」でした。

これがウエダジュエラーの総合宝飾店への転換となりました。

1970 年代の好景気時代から堅実な財務運営を行ってきた新太郎だからこそできた挑戦です。スタッフメンバーも年々増え、積極的な営業活動や、ウエダジュエラーと宝石について知っていただくための広報活動が 1980 年代から行われていきました。

その結果、100 周年からたった 10 年でウエダジュエラーをご愛顧していただけるお得意様の数は 10 倍以上にも増えることになりました。不況の大逆風のなかで翼を広げる決断が、お客様との出会いを広げて、その絆も強くしたのです。


次回をお楽しみに