140 年以上、5 代にわたる家族経営をつづけてきた
Uyeda Jeweller の物語。
全 14 回の連載でご紹介させていただきます。
第 1 回は こちら から。
初代・吉五郎とは対照的に、二代目の富士朗(ふじろう)は柔軟かつ社交的で、先を読むことができる商売人でした。
1923 年(大正 12 年) 9 月、関東大震災で店が全焼するという絶望的な体験もしましたが、富士朗は弟の義己(よしみ)と共に奔走し、日本で最初のアーケードである帝国ホテルアーケードへの出店を足がかりにして、本格的に宝飾事業を伸ばしていきました。
いわば兄弟が植田商店の両輪となったのです。
経営判断と、構造改革、顧客開拓は富士朗。
目利きと、仕入れ交渉、デザイン発案は義己。
それぞれの強みを活かして、お互いの背中を預けながら会社を発展させていきました。
銀器以外にも、貴石・半貴石の取扱いが増え、そのうち真珠がメインの商品となりました。
その頃、日本の真珠は海外でも知られるようになっていました。しかしその大きな需要を当て込んで新規参入する生産者が急増し、粗悪品が大量に出回ったことで、日本の真珠への評価そのものが揺らぎはじめます。
「なんでも売れるからといって、なんでも売っていいわけではない」
粗悪品でも売れる時代に、富士朗は断固として高品質にこだわり、最上級の真珠のみを選び抜いて店にならべました。
商品は品質こそが命。
その上で不当な利益を乗せない誠意ある仕事を貫く。
この姿勢は徐々に顧客の間に広まり、そのうちに
「極上品ならばウエダに行けば間違いない」
と思っていただけるような強い信頼を、多くのお客様から頂けるようになったのです。
マリリン・モンローとジョー・ディマジオのご夫妻。
マッカーサー夫人、ベーブ・ルース氏。
チャーリー・チャップリン氏に、ボブ・ホープ氏。
現代で再評価されるようになったドッジ経済のドッジ氏も、何度もご来店頂いたお客様の一人です。
彼らをはじめとする数多くの世界的著名人が、日本を訪れる際にわざわざウエダに足を運んで頂けたのは、二代目の最上級へのこだわりと、誠意ある姿勢があったからでした。